<私が権利擁護(成年後見業務等)に対する想い>

 長い間、社会福祉協議会(社協)にて福祉の活動をしてきました。

 福祉と一言で言ってもなんぞや?という感じでした。今でも福祉を一言でいうのはなかなか難しいと思っています。

 16年、福祉の業務に携わっていても福祉は深く、難しいものだなと感じます。

 それもそのはず、福祉は「人々のふだんの くらしの しあわせ」です。

 人の数だけ、福祉はあると思います。人の幸せの形は人それぞれですから。

 そして、人々の幸せをサポートするために、私の場合は「権利擁護」を切り口に支援を展開しています。

 権利擁護の一つに成年後見制度があります。

 権利擁護(成年後見制度)で、人々の選択肢を守ることによって、人はなんにでもなれる存在であるということを常に思っています。 

 権利擁護とは、その人の選択肢を守るということです。

 

 例えば、「今、着ている服は、どうしてその服なのか?・・・・」と着かれたら、なんと答えるでしょうか?

 冠婚葬祭など、特別な非日常の場合は別ですが、普段、日常生活の中で普通に着る普段着のことです。

 

 改めて聞かれると「〇〇の理由で今日はこの服を着ている」という答えをなかなかできないものです。

 むしろ、大した理由もなく、「今朝の天気予報を見て・・・」とか「洗濯物の一番上にあった」など、理由にもならない理由で、洋服を着ている場合が多いと思います。

 

 しかし、ここで考えてほしいのです。

 

 理由にもならない理由で、今の洋服を着ているとしても、それは「誰か、自分以外の人」が選んだものでしょうか?

 つまり、配偶者や親、子供など、自分ではない人に「この服を着なさい」と言われて着たものか、ということです。

 おそらくそうではないはずです。

 それならば、誰が選んで着ているのかと言えば、まさに今着ている服は、自分で「選んで」着ているということです。

 理由ともならない理由であったとしても、自分で選んでいるのです。

 

 このことを私たちは「さりげなく、何気なく、苦もなく」自分で「選んでいると言っています」

 「自分でやれる場のチャンスを作ってあげることも権利擁護です」

 「選択肢を1つから2つにするだけでも権利擁護ではないでしょうか?」

 

 私には2歳の娘がいます。いつも保育園には遅れていきます(笑)。時間に間に合いません。

 その理由の一つとして、今日、娘が着たい服を娘に選んでもらっているからです。

 はじめは私が二つの服を用意し、どっちが良い?と聞いていました。

 最近では自分で着い服を選ぶようになりました。

 保育園に間に合わないから、今日はこれを着なさいと言われたら、表現できない子はどうでしょうか?

 おとなしく着ると思います。その点、うちの娘は僕似なので、ガンガン言ってきます・・・・。

 (最近は、ア〇パーーンチを言ってグーで殴られます。2歳児からのDV・・・)。

 

 高齢で認知症になった方でも同じだと思います。それを表現できない人もいます。

 施設職員の方のちょっとした権利擁護を意識した行動が本人の権利を守っていると私は思います。

 僕の娘と同じようにとは言いません。そういう権利があるということを意識して対応していただけるだけでも違うと思います。

 思考は行動やふるまい、あり方に出てくるからです。